上田城の見どころ・ご城印紹介

ご城印紹介

基本情報

築城年1534年
主な城主真田昌幸、仙石秀久、仙石氏、松平氏
主な合戦第一次上田合戦(1585年)、第二次上田合戦(1600年)
、指定文化財国の史跡、長野県宝(南櫓、西櫓、北櫓)
アクセス北陸新幹線・しなの鉄道・上田電鉄別所線 上田駅から徒歩約15分
所在地〒386-0026
長野県上田市二の丸2
形式梯郭式平城
100名城スタンプ上田市立博物館、上田市観光協会

日本100名城スタンプ

日本100名城のスタンプは上田市立博物館、上田市観光会館に設置してあります

<上田市立博物館>
開館時間:9:00~17:00入館は16:30まで
休館日:水曜日、祝日の翌日、年末年始(12月29日~1月3日)、上田城櫓は11月中旬~翌3月休館
料金:上田市立博物館300円、上田城櫓300円、上田市立博物館・上田城櫓セット券500円

<上田市観光会館>
住所:長野県上田市大手2-8-4
営業時間:1階売店 9:30~18:00、2階観光案内所 平日8:30~18:00、土日祝9:00~18:00

上田市立博物館 https://museum.umic.jp/hakubutsukan/

上田市観光会館 https://www.city.ueda.nagano.jp/site/kankojoho/14383.html

歴史

1584年真田昌幸が徳川家康の命で越後の対上杉景勝の最前線の拠点として築城

1585年上杉景勝に寝返り、対徳川家康の拠点として増築。1585年には第一次上田合戦で徳川軍を撃退。

その後豊臣秀吉に従属し、1600年に関ヶ原の戦いでは昌幸・次男幸村は西軍につき(長男信幸は家康の重臣・本多忠勝の娘と結婚したため東軍)、関ヶ原に向かう途中の別動隊・徳川秀忠の足止めをし、関ヶ原に遅刻させる(第二次上田合戦)ことに成功。

しかし、西軍が敗れたため昌幸・幸村は紀伊九度山へ流刑となり昌幸の遺領は信幸が継ぐ

江戸時代に入ると上田藩となり信幸は信之と改名、その後上田から松代へと転封。信之の松代転封後は、仙石氏・松平氏が藩主を務め、明治時代を迎える

廃藩置県後は、ほとんどの建造物が破却され戦後、復元された。

二の丸橋

二の丸橋
櫓台

上田城観光のメインの入口。

この橋を渡れば駐車場があります。博物館や資料館に立ち寄る人はこちらの駐車場がおすすめ

道路の向かいには観光会館があり、食事や買い物もできます

橋を渡った先には櫓台跡があり、左右に同じものがあることから櫓門のような門があったことが推測できます。

東虎口櫓門

①東虎口櫓門
②西櫓
③真田石
④火縄銃の模型を持ってみた

二の丸を抜けたらこの東虎口櫓門が見えてきます。

自分が行った時はこの辺りから他の観光客の数が増えた来たような印象です。

写真①の左側が南櫓、右側が北櫓となっていて近くの受付でチケットを購入したら内部を見学できます

内部にはさまざまな物が展示されており、火縄銃を持ってみることもできます。めちゃめちゃ重かった

櫓門の石垣にある真田石は、真田信之が松代転封の際に持っていこうとしたが、動かなかったと伝えられたいる

真田神社

青年幸村像
真田井戸

櫓門を抜けると正面に鳥居がある。

奥に行くと青年幸村像、真田井戸がある

真田井戸は、太郎山の麓や上田藩主の居館に繋がる抜け穴があったという伝説があり、2度も徳川家の侵攻を退けたことからこの伝説が生まれたとされている

御朱印

自分が訪れた時の御朱印ラインナップ

通常版
夏越大祓御朱印①
夏越大祓御朱印②

御朱印の他にもお守りをはじめ、御朱印帳バンドや御城印帳、上田城御城印も販売している

西櫓

真田井戸よりさらに奥に進んだところにあります

長野県宝に指定されています

この西櫓はほとんど当時と変わらない外観になっているそう。

YouTubeにも動画あげてるので興味ある方はぜひご覧ください!

YouTube→

https://youtube.com/@user-sf6mu2lo6u

Twitter→@ryouta_youtuber
インスタ→@ryouta_youtuber

コメント

タイトルとURLをコピーしました